講演会「黒田官兵衛生誕地・黒田の里」 が開催されました

更新日:2023年05月17日

広がりつつある黒田庄生誕説

平成25年9月8日(日曜日)に黒っこプラザで、思想史家・鈴木幸治先生による講演「黒田官兵衛生誕地・黒田の里」が開かれました。これは、「北播磨黒田官兵衛生誕地の会」が企画した官兵衛セミナーの第2弾で、6月に開催された歴史研究家・黒田美江子氏の講演に続くものです。

鈴木先生は、黒田の地へ何度も足を運んで播磨黒田氏の研究を進められています。今回で6回目となる先生の講演会の会場には、約200名の熱心な黒田官兵衛ファンが集まりました。黒田庄地区以外からの方も多く、このことからも官兵衛の黒田庄町黒田生誕説が市外の方にも知られてきたことが伺われます。

鈴木幸治先生

鈴木先生は、通説となっている「黒田家の近江国出自説」は誤りで、多可郡黒田村(現在の西脇市黒田庄町黒田)であると主張されています。最近注目されているこの説の根拠は以下のとおりです。

  • 通説は、貝原益軒の書いた「黒田家譜」がもとになっている。ところが、黒田氏には歴史学的に決定的な資料がなく、研究が止まっていた。
  • 荘厳寺所蔵の「黒田家略系図」が公表されたことで、黒田氏は14世紀半ばから、戦国時代の末期16世紀後期まで9代、二百数十年にわたって播磨国多可郡黒田村に存続していたことが分かった。
  • 系図を編纂したのは、官兵衛の母方の従妹で、黒田氏の最期を見届け供養をしてほしいと荘厳寺に系図を奉納している。編纂者の子孫は現在も存在し、編纂者を裏付ける古文書が伝わっている。
  • 系図には、黒田官兵衛は「職隆」の実子ではなく養子であるとされている。実父は祖父とされていた「重隆」である。
  • この系図の存在だけなら信憑性に疑問符が付くが、官兵衛が多可郡黒田村生まれだということは姫路の古記「播磨古事」等にも記録があり、播磨固有の伝承として残っている。

 

約200人の熱心な歴史ファンで会場は満員

約200人の熱心な歴史ファンで会場は満員

あのキャラクターも登場

なお、この日の講演に先立って、黒田庄町出身の歌手・トータス松本さんデザインのゆるキャラ、「黒田牛兵衛」が披露されました。

その愛くるしい表情とユーモラスなしぐさに、会場の皆さんからも思わず笑みがこぼれていました。

(下は初披露時の「黒田牛兵衛」)

黒田牛兵衛