太閤腰掛石(黒田庄町岡)

更新日:2021年03月31日

豊臣秀吉が腰掛けたとされる石

 黒田庄町岡の極楽寺本堂の裏手に、太閤腰掛石と呼ばれる庭石があります。
 太閤腰掛石由来記には「羽柴秀吉、天正年間三木攻略のとき、大志野に陣し、兵主神社に戦勝を祈願して、燈明田を献せり」とあります。
 現在の極楽寺は、その頃まだ建てられておらず、そこは兵主神社の森つづきの境内であったと考えられています。秀吉はそこに兵を駐め、自らも下馬して傍らのこの石に腰を下ろし、「下知采配に當たりしならむ」と伝えられています。
 後に天下統一を果たし、関白・太政大臣の地位についた太閤秀吉にあやかろうと、この石に腰掛ける里人が現れたのも当然のことでしょう。

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