心のスケッチ(2023年度)

更新日:2024年04月01日

地域の人権教育をリード―人権教育推進委員【4月号】

西脇市を人権文化の花咲く住みよいまちにするために、地域で活躍する方々を皆さんはご存じでしょうか。中でも中心的な存在となっているのが、「西脇市人権教育推進委員」です。

市教育委員会が委嘱する人権教育推進委員は、地域社会の人権教育を積極的に進め、市民の皆さんの人権意識の高揚を図る役割を担っています。市内に8つある地区ごとに、おおむね2人を任命。任期は1年ですが、再任を妨げていません。中には10年近く尽力されている方もいます。これまでに、100人を超える方々が人権が大切にされるまちづくりに貢献されてきました。

委員の活動は、年間を通じて多岐にわたります。例えば、地区内の定例研修会や町別学習会、毎年8月に開催する「人権文化をすすめる市民運動」推進強調月間講演会で、会の企画・運営などに携わっています。特に各地区で行う研修会では、コロナ禍を経て、グループになって参加者同士で意見交換をする機会が戻ってきました。委員はグループトークが円滑に進むよう進行役を務めたり、意見をまとめたりし、参加者の理解促進に努めています。  

人権を巡る状況は時代とともに大きく変化し、性の多様性や無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)など、新たな課題も認識されるようになりました。委員は各地区での活動に生かすため、主体的に多様な研修会や講演会に参加し、自己研さんにも励んでいます。

今後も西脇市は、人権教育推進委員の方々の協力の下、人権が尊重されるまちづくりを進めます。皆さんも、人権講演会や町別学習会に参加し、人権について考えてみませんか。

子どもたちは意見を言えていますか【3月号】

平成元年の国連総会で採択された子どもの権利条約には、「子どもは自分に関することに自由に意見を言うことができ、大人はそれを尊重すること」と記されています。これは子どもの権利条約の4つの原則の一つとされています。

30年ほど前の、私が住む地区の子ども会での話です。当時子ども会のキャンプは、親が調理室で食事を作り、親がキャンプファイアのゲームを考え、親が準備した冷房の効いた部屋で泊まっていました。話を聞くと、危ないことを避け、手間が掛かることを簡略化するうちにこうなったそうです。私は「子どもたちがこのキャンプを楽しいと思っているのか」という疑問を持ちました。

翌年このキャンプを任されることになった私は、まず6年生の子どもたちを集めて、キャンプでしたいことについて尋ねました。子どもたちからは、テント泊、飯ごう炊さん、キャンプファイア、肝試しの4つを自分たちでやってみたいという意見が出ました。親からは心配する声もありましたが、子どもたちの希望をかなえるキャンプに協力することになりました。その結果、「このキャンプで自分の意見が言えたこ と」「願いがかない参加したみんなが喜んだこと」が、6年生の子どもたちの大きな自信になりました。このときの子どもたちの多くは、現在、親として地区で活躍してくれています。

子どもたちの意見は「希望」であり「夢」のようなもので、キャンプの話のように、大人が聞かないとなかなか言えないものなのかもしれません。家庭、地域、学校において、子どもたちが安心して意見を言えるように、まずは私たち大人が子どもたちと話をする機会を持ち、子どもたちの意見を聞ける人でありたいですね。

その人らしく生きるということ【2月号】

ブランコをこぐことでスマートフォンが充電 できる「発電ブランコ」を知っていますか。このブランコは、令和元年オランダのユトレヒトで開催された環境に配慮した持続可能な社会を考えるイベントで設置され、多くの人が体験したようです。この発電ブランコは、その後日本に輸入され、現在は西脇市にある放課後等デイサービス「こはくのひろば」に設置されています。どういった経緯でやって来たのでしょうか。昨年11月の市人権教育研究大会の事例発表をご紹介します。

「こはくのひろば」に通う重症心身障害児のある方は、体を揺らす感覚が好きで、一日中ブランコをこぎ続けることができます。一方、手先を使った作業への関心は薄く、じっとしてい ることが得意ではありません。将来について「こはくのひろば」スタッフらが保護者を交えて話をする中で、「この子にしかできないことがあるはず」「得意のブランコをこぐことを仕事にできないか」と考えるようになりました。 そんなとき、発電ブランコの存在を知ったスタ ッフが、当時発電ブランコを所有していた企業に連絡し、自分たちの思いを伝え、発電ブランコを寄付していただきました。 

障害のある人もない人も、互いにその人らしさを認め合いながら共に生きていける社会の実現を目指していますが、実際には障害のある人が日常生活などで直面する障壁はまだまだ多いです。そのような中、人と違うことを強みとして捉え、その人の「よさ」や「らしさ」が発揮できるような支援をしていきたいものです。

  • 令和3年に障害者差別解消法(通称)が改正され、令和6年4月1日からは事業者による障害のある人への合理的配慮の提供が義務化されます。

新しい出会いに感謝して【1月号】

新しい年を迎えました。

新年度、新社会人、新学年…。「新しい」ということはとても楽しみなことですが、一方ではこれからのことを思い、不安に感じる方もおられるのではないでしょうか。

私も4月から新しい部署で仕事をしています。 まだまだ戸惑うことも多くあり、立ち止まりそうになることも…。

教育委員会人権教育課では毎年、地域の皆さんと一緒に「町(区・集落)別人権学習会」を実施しています。人権を正しく学び、その大切さを知っていただきたい思いで、さまざまな人権課題について啓発DVD鑑賞や講演会を開催しています。

「人権は難しく堅苦しそう。何をするのか不安」と学習会への参加に二の足を踏む方がいらっしゃるかもしれません。しかし、実際参加された方からは「新たな学びがあった」「初めての方とお話ができてよかった」「一人暮らしなので久し振りに皆さんとお会いできてうれしかった」などのお言葉もいただいています。少し勇気を出して学習会に参加することで、自分にとってプラスになる新しい経験をしていただけます。多くの皆さんのご参加をお待ちしています。

さて、立ち止まりそうな私には…。新たに出会った地域の方や仲間が、そっと手を差し伸べてくれます。生きていくには人と人とのつながりが大切であると改めて感じつつ、新しい年を迎えています。マザー・テレサの言葉に「愛の反対は憎しみではなく無関心である」というものがあります。人権を難しいものと捉えず、そばにいる人に関心を持ちたい、そっと手を差し伸べられる自分でありたいと思います。

老いるということ【12月号】

今年もはや12月。31日には大晦日、そして1月1日には新年を迎えることになります。今年はどんな1年だったでしょうか。

誕生日もそうですが、もうすぐやってくる正月もまた、「今年で〇歳になる…」と自分の年齢、別の言い方をすれば、自身の老いを改めて意識する時でもあるように思います。

世間では「いつもお若いですね」という言葉が褒め言葉として受けとられることが多いように、またアンチエイジング(抗老化)という言葉があるように、老いることはネガティブなこととして受け入れられているかもしれません。 確かに、字が見えにくくなった、忘れっぽくなった、疲れがとれにくくなったなど、老いとともにできなくなることが増え、この延長線上に介護という問題も浮上してくるのでしょう。

しかしながら老いることは生き物として当然であり、誰もが避けることができない自然なことです。にもかかわらず、老いること、何かができなくなることに対する負い目やおびえがあるとすれば、それは自分や家族ひいては社会も含めたそれを受け入れる側に問題があるのかもしれません。振り返ってみれば、私たちはいつも学校や会社から「あなたは何ができますか」と問い続けられ評価されてきたわけですが、何ができるかではなく、自分がいること、他者がそこにいてくれること、それ自体の価値を改めて感じ取る必要があるのではないでしょうか。

これから何かと慌ただしい年末を迎えていきますが、ふとした時間に、きちんと自身の老いに向き合い、他者に対しても自分に何をしてくれるかではなく、ただそこにいてくれるありがたさを感じ、お互いに温かい気持ちで新年を迎えられればと思います。

人権文化の花咲く西脇市を目指して【11月号】

心豊かな生活を送るために、日々慌ただしく過ごす中でも、私たちは人権学習会や講演会などに参加し、自分の言動を振り返ったり、さまざまな人権課題に思いをはせたりする機会が必要なのではないでしょうか。

8月には「人権文化をすすめる市民運動」推進強調月間講演会を市内各地区で開催しました。人数制限をなくしての開催は4年ぶりです。昨年度からは新たにオンライン配信を始め、今年も多くの方に視聴いただきました。今年はオンラインで参加された方のうち、40代以下の方の割合が約半数を占め、若い世代の方へも波及していると感じています。このように幅広い世代 への参加が広がっていることは、人権意識の向上にもつながり、大変うれしく思います。

また、西脇市と西脇市人権教育協議会が、人権啓発を始めて半世紀がたちます。これらの活動はすぐに成果が出るものでもなく、効果自体も明確には分かりません。

このような中で、人権尊重の精神が文化として地域に根差すには、地道で継続した活動が大切です。オンラインで講演会に参加するなど、時代に合った方法も取り入れながら、世代を問わず人権について考える機会をつくることで、心豊かに輝いて生活できる地域づくりを目指していきたいと考えています。

11月18日(土曜日)には、西脇小学校において 「西脇市人権教育研究大会」を開催します。全体会では多様な性に関する基本的な知識などについての講演会のほか、分科会では学校園や地域、職場の取り組み報告があります。多くの皆さんのご参加をお待ちしています 。

芸術の秋ですね【10月号】

学校ではこの時期、どの教室にも子どもたちの絵が並び、学校に勤めていた頃の私はその絵を見ることを、いつも楽しみにしていました。

子どもたちは、絵を描くことが好きとか嫌いとかを口にします。どうしてそのような違いが出てくるのでしょう。

子どもたちの中には、写真のような絵を描く子がいます。その絵は一般的に「上手」と褒められます。すると、子どもたちは上手な絵は写真のような絵と思い、そのように描こうと頑張ります。しかし、どの子もそのような絵は描けません。うまく描けない子は、自分は下手だと思い込んでしまうのです。また、周囲の誰かに言われた言葉で、自分は「下手」と決めつけてしまう子もいます。

絵の表現は一人一人違います。絵にはその時のその子の思いや感性が表現されています。それぞれの絵に、一人一人の表現の良さがあるのです。私は教室で「この線はあなたにしか描けないいい線だ」とか「この色はあなたにしか作れないきれいな色だ」と褒めていました。すると、聞いていた周囲の子どもたちも、みんなで一緒に褒めてくれました。そうして、みんなで認め合いながら仕上げた絵は、どれも生き生きした素晴らしい作品になります。そんな絵がいっぱい掲げられている教室を、私はいつも目指していました。

褒められたり認められたりすることは子どもだけでなく、大人にとっても高齢になってもうれしいものです。そこには自信が生まれ、会話が活発になり、楽しく温かい関係が生まれます。子どもたちの絵のように、一人一人のよいところを、みんなで認め合える家庭や地域を目指していきたいですね。

あなたにはあなたのよさがある【9月号】

わが家ではお盆に兄弟姉妹が集まって、夏のひとときを一緒に過ごすことが恒例となっています。中学生のおいはとても面倒見がよく、幼い子どもたちを引き連れて遊んでくれます。しかし、勉強に対する苦手意識が強く、学校にうまく適応できていないところもあることから、私はおいに「学校はどうや」「困ってないか」と声を掛けるようにしています。

2学期が始まる9月1日。学校で久しぶりに友達と話をしたり、みんなで勉強したりすることを楽しみに登校する子どもの姿を見掛ける方も多いのではないでしょうか。一方で、おいのように勉強に対する苦手意識が強い子や、学校が始まることに不安を感じる子がいることも忘れてはいけません。事実、自殺総合対策推進センターが発表している昭和48年から平成27年における「通学適齢期の自殺者数に関する分析」によると、9月1日の自殺者数が一番多いとの報告があります。

現代社会においては、地域の人間関係が希薄になっており、子どもを取り巻く人間関係が家庭や学校に集中しているため、子どもたちは助けを求めづらかったり、大人が子どもたちのSOSをキャッチしづらかったりするのかもしれません。全ての子どもの命が守られ、持って生まれた能力を十分に伸ばして成長できる社会でなければなりません。

おいには「あなたにはあなたのよさがある」といつも伝えています。これからも温かく寄り添い続けようとする伯父でありたいと思っています。皆さんも普段よりも少し意識をして、身近な人や、とりわけ子どもたちに目を配ったり、温かな言葉を掛けたりしてみませんか。

これって私の思い込みかも【8月号】

「アンコンシャス・バイアス」という言葉をご存知ですか。日本語では「無意識の思い込み・偏見」などと表現されています。

私たちは何かを見聞きしたときに、これまでの経験や知識に照らし合わせて「きっとこうだと無意識に思い込む」ことがあります。例えば「介護中の社員と聞くと女性だと思う」「血液型で相手の性格を想像する」「学歴や職業などで相手を見ることがある」「同僚から薦められるけど、私にリーダーは無理だと思う」など。

「アンコンシャス・バイアス」は誰にでもあるもので、あることそのものが悪いわけではありません。問題なのは、知らず知らずのうちに「押し付け」たり「決め付け」たりすることで、相手に嫌な思いをさせてしまうこと、自分自身の可能性を狭めてしまうことです。もし誰かと話をしているときに、相手の笑顔が消える、態度が変わるなどのサインがあれば、立ち止まって考えてみてください。「もしかして、これって私の思い込みかも」

大切なことは「アンコンシャス・バイアス」に気付こうと、一人一人が意識することです。この「気付き」は、自分の周りの人にとっても、そして自分自身にとっても、より暮らしやすい社会に近付けてくれます。ひいては一人一人が大切にされていると感じられる、生き生きと暮らせるまちづくりにつながっていくのではないでしょうか。

西脇市では8月を「人権文化をすすめる市民運動」推進強調月間と定め、各地区で人権講演会を開催します。「人権講演会」に対しての思い込みはありませんか。ぜひ講演会に参加いただき、いろいろな「気付き」を得ていただけるとうれしく思います。

みんなちがって、みんないい【7月号】

「みんなちがって、みんないい」――。これは童謡詩人・金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩の最後の一節です。

この一節に対し、「私はそうは思わない」と言う人がいます。劇作家の平田オリザさんです。平田さんは「みんなちがって、たいへんだ」ではないかと言います。 平田さんの「たいへんだ」には、決して後ろ向きな気持ちがあるわけではありません。平田さんは「みんなちがって、たいへんだ。しかし、この『たいへんさ』から、目を背けてはならない」と主張します。平田さんが言うこの「たいへんさ」とは、一人一人の個性が異なる私たちが、互いに分かり合うことの難しさなのかもしれません。

確かに私たちは、日々さまざまな場面で他者と分かり合えないことがあります。そんな中、哲学者の鷲田清一さんはこう言います。「分かる」とは感情や意見の一致ではなく、「同じことに直面しても、ああ、このひとはこんなふうに感じるのかというように、自他とのあいだの差異を深く、そして微細に思い知らされることだ」と述べた上で、「理解できないからといってこの場から立ち去らないこと、それでもなんとか分かろうとすること」だと。

「分かる」をこう捉えるなら、自分と意見や考えが違う人の前から立ち去ったり否定したりするのではなく、その人を分かろうとし続けることが大切であり、その大変さが、平田さんの言う「目を背けてはならないたいへんさ」ではないかと思えてきます。

一人一人の個性を大切にしながら、相手を分かろうとすることで、お互いを尊重し合える社会になるのではないでしょうか。

世間の常識・非常識【6月号】

今月も先月号に引き続きマスクの着用について考えたいと思います。

政府はマスクの着用について、3月13日から屋内外を問わず個人の判断に委ねることとしました。文部科学省も4月から学校生活において、マスクの着用を求めないことを基本としています。市内小中学校の卒業式、入学式でもマスクの着用を個人の判断に委ねた上で挙行しました。

その結果、式典の様子はどうだったでしょうか。市内にある小学校の入学式では、新1年生は、多くの児童がマスクを外していました。一方で、出席した在校生の半数以上、保護者の大多数がマスクの着用をしていました。

新型コロナウイルスの感染が国内で初めて確認されてから3年以上が経過し、その間にマスクの着用は「世間の常識」になった気がします。5月8日からは、感染症法上の位置付けが5類に引き下げられ、行動制限に関する法的根拠がなくなったことで、感染対策は個人の判断に委ねられることになりました。

しかしながら、その後のまちの風景を見ると、マスクを着用している人も多く、その中には「他人の目が気になるから」という理由を挙げられる方も少なからずあります。そこには、マスクを着用しないことが非常識という意識が働いているのかもしれません。

世間では「常識」や「多数」という価値観で判断されることもあります。常識と思われていることや、多数の意見でも全てが正しいとは限りません。誰もが安心し、お互いを理解してそれぞれの生き方を尊重できる社会になっていければいいですね。

「日常」に戻る【5月号】

新型コロナウイルスの感染拡大で「非日常」と言われた生活が約3年続きました。ようやく、5月8日から新型コロナウイルスは季節性インフルエンザと同じ扱いになることとなり、コロナ前の「日常」にほぼ戻ることになりました。しかし、この3年で「非日常」が「日常」になったと言われることが一つあります。それは、マスクの着用です。

3月13日からマスクの着用ルールが緩和されましたが、ある新聞の調査によると、約6割の人が「マスクの着用を続けたい」と回答しています。理由としては、「感染症予防のため」が約6割と最も多く、他には「素顔を見せることが恥ずかしい」という意見も約3割ありました。

私事ですが、私はコロナ前から難聴気味で、特に電話の際、一度で相手の話を聞き取れず、もう一度聞くことがよくありました。二度で聞き取れない場合は、難聴気味であることを伝え、再度聞き直していました。「すみません、もう一度・・・」と聞き直してお叱りを受けたことが何度もあります。対面では、相手の口元や表情を見て、何とか話を理解しよう努めてきました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大でマスクが原則着用となり、私は話を聞き取る大切な術を失いました。それだけに、この度のマスク着用が個人の判断に任されることは、私にとって大変ありがたいことと思っています。

マスク着用が個人の判断になることで、それぞれの事情が尊重される「日常」に戻ることを、一緒に喜びたいものです。そして、人が集まって交流し「日常」を楽しめる、そういった日が一日でも早く来てほしいものです。

2月には幼稚園児から高校生、大人がみらいえ周辺で清掃活動を実施

クリーン作戦から思う【4月号】

先日、地域の幹線道路を中心に実施された清掃活動「クリーン作戦」に参加しました。1時間ちょっとの活動でしたが、数歩進むたびに「ごみ」を発見。終わってみれば、大量のたばこの吸い殻や空き缶にペットボトル…。中には、どうやって捨てたのだろうと思う古タイヤまでありました。

現在、クリーン作戦は各地で行われています。そして、この活動に参加する小中学生も増えてきました。そんな子どもたちが、明らかに大人が捨てたと思われる、たばこやアルコールの缶といった火災や重大な事故につながるごみを見たとき、どのような気持ちになるでしょうか。ごく一握りの大人によるマナーやルール違反が、大人社会への不信につながらないか心配です。

ある日の夕方、散歩をしながらなのでしょうか、ビニール袋と火ばさみを持って通学路を歩く方を見掛けました。その姿を見て、子どもたちに「気持ち良く登下校してほしい」「美しいふるさとを大切にしてほしい」と願う気持ちから活動されているのかな、と想像しました。そして、もし子どもたちがその方の姿を見掛けることがあったら、ごみを捨てないことはもちろん、「ごみが落ちていたら自分も拾おう」という、さらに前向きな行動につながっていくのではないかと感じました。

「捨てる神あれば、拾う神あり」ということわざがあります。「捨てる人あれば、拾う人あり」が現状であるとしたら、せめて「捨てない人」に、そして、ごみが捨てられていたら「拾える人」になり、子どもたちの手本でありたいと思う気持ちが高まった一日でした。

この記事に関するお問い合わせ先

西脇市教育委員会 教育管理部 人権教育課

電話:0795-22-3111(代表)
ファックス:0795-23-8844
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