心のスケッチ(2021年度)

更新日:2022年06月21日

近くて遠い隣人【3月号】

西脇市に来るまで、私は実家から離れて暮らしたことがありませんでした。引っ越してきた1年目は、知り合いがいないまちでの初めての一人暮らしに、「一瞬も気が抜けない」と警戒心を抱きながら日々を過ごしていました。

ある日のことです。「ドーン!」と大きい音が聞こえアパートの外に出てみると、花火が見えました。私はそのまま、外で花火を眺めていました。すると、隣の部屋に住む女性も外に出てきました。初めて顔を会わす隣人に話し掛けるか悩みましたが、結局、その日はあいさつを交わすだけで、それ以上会話することはありませんでした。

それから日が過ぎ、私の家のインターホンが鳴りました。ドアを開けると、隣人の女性が「野菜、いりませんか」と。突然のことで驚き、警戒心もまだ解けていなかった私ですが、あの夜、花火を見るために外の出たのは私と彼女だけ。「仲良くなれるかも」と、その野菜を受け取りました。

今年の3月で、西脇市で暮らし始めてから4年がたちます。隣人の女性とはよく話すようになり、食事も一緒にする関係になりました。今では、その人以外にも、西脇市には心を許せる人がたくさんいて、私の警戒心は徐々に解きほぐされていっています。

令和2年1月に行われた内閣府の世論調査によると、地域での付き合いを「よく付き合っている」と答えたのは全体の16%で、地域やご近所付き合いは希薄化しているといわれています。しかし、望ましい地域での付き合いの程度に関する問いには、半数以上が「地域の行事や会合に参加することが望ましい」と答えており、必ずしも地域や近所の人への関心がないわけではないことが分かります。

あの日、彼女が野菜を持って訪ねて来なければ、今も彼女は隣人でありながら、遠い存在だったかもしれません。彼女が訪ねて来てくれたように、私も相手の心を解きほぐすことができるような行動をしていきたいと思います。

「おせっかい」が人を救う【2月号】

昨年12月、人権文化をすすめる市民運動の講演会を開き、タレントや女優として活躍するサヘル・ローズさんを講師にお招きしました。

イランで生まれたサヘルさんは戦争孤児として幼少期を施設で過ごし、8歳のときに今の母親に養子として迎えられました。その後、養父のいる日本へ養母とともにやってきました。しかし、養父の虐待に耐え兼ねて養母とともに家を飛び出し、一時は公園での生活も経験したと。中学校に入ると、外国人であることを理由にいじめに遭うなど、さまざまな苦難を乗り越えながら生きてきました。

そんなサヘルさんたちを救ったのは、周りにいる人たちの「おせっかい」でした。自分の家に住まわせ、食べる物や着る物を与えてくれた給食のおばちゃん、付きっきりで日本語を教えてくれた小学校の校長先生、サヘルさんが発する「SOS」のサインに気付いた大人たちが声を掛け、支えたのでした。

「なぜ、そこまでしてくれるの」というサヘルさんの問いに、給食のおばちゃんは「お互いさまでしょ。お互いに寄りかかって生きているんだよ」と答えたそうです。講演会の中でサヘルさんは「私たちは誰かの発する変化に気付けるはず。気付いたときに、自分から声を掛けられる社会でありたい」と話されました。新型コロナの感染拡大によって、人と人とのつながりが制限される現代社会において、この言葉の重みをより強く感じます。

「おせっかい」は、必要のないことを口に出したり、世話を焼いたりする意味で用いられ、一般的にネガティブなイメージで使われることが多い言葉です。しかし、サヘルさんの体験から、その行為が周囲に関心を持って働き掛ける、大切な営みであることを学びました。

私たちの身近なところでも「SOS」のサインを出している人がいるかもしれません。そんな人に出会ったとき、私は勇気を持って「おせっかい」をしてみようと思います。

パラアスリートを支えた人たち【1月号】

昨年夏に開催された東京パラリンピックでは、パラアスリートが懸命に競技する姿に心を打たれた方が多かったのではないでしょうか。自国開催ということもあり、これほど毎日テレビで観戦したのは久しぶりでした。人間の限界を超えた集中力や精神力を目の当たりにし、最後まで諦めないことの大切さを改めて学ぶことができました。アスリートの競技や演技も素晴らしかったのですが、そのアスリートを支えた人たちの頑張りにも心打たれました。

水泳競技では「タッパー」がアスリートを支えました。タッパーは視覚障害のスイマーが泳ぐときにサポートする人のことで、プールサイドに立ち、タッピング棒を使って選手に合図を送り、ターンやゴールのタイミングを知らせる重要な役割を担います。タッパーの第一人者である寺西真人さんは、タッパーを務める上の大事なことに「信頼関係」を挙げています。選手にとって一番重要なのは、「試合で安定して合図がもらえ、安心して泳げるか」だと話します。

一方、陸上競技では「ガイドランナー」と呼ばれる伴走者の姿が光りました。伴走者は視覚障害がある選手に、コースや距離の状況を伝えながら走ります。ガイドランナーの一人、大森盛一さんは「伴走で大切なのは、選手にストレスを与えないこと。腕を振るのが選手と逆方向になってはダメです。ストライド(歩幅)は選手と私とではかなり違いますが、そこもガイドである私が選手に合わせるんです」と言います。

支える人たちは、選手の思いをしっかりと感じ取りながら、心も体も選手に同調させ、共に競技しているのです。

あなたも私も、タッパーやガイドランナーとパラアスリートのように、互いに助けたり、助けられたりしながら生きているのかもしれません。

人権週間にあたって【12月号】

皆さんは「シトラスリボン運動」をご存じですか。これはコロナ禍で生まれた差別や偏見を耳にした、愛媛県に住む有志がつくったプロジェクトのことです。プロジェクトでは、誰もが新型コロナウイルスに感染するリスクがある中、たとえ感染しても地域の中で笑顔の暮らしを取り戻せることの大切さを伝え、感染された方や医療従事者がそれぞれの暮らしの場所で「ただいま」「おかえり」と受け入れられる雰囲気をつくり、そして、思いやりのある暮らしやすい社会を目指しています。愛媛の特産・かんきつにちなんだシトラス色のリボンやロゴを身に着け、「ただいま」「おかえり」の気持ちを表す活動として全国各地で展開。リボンの3つの輪は、「地域」「家庭」「職場(学校)」を表しています。

さて、11月に高田井町で人権の住民学習会が行われました。新型コロナによる差別・偏見をテーマにした啓発映画を視聴した後、グループに分かれて参加者全員でシトラスリボンを作りました。会場に用意されたクラフトテープや水引、組みひもなどの材料から、それぞれが好きなものを選んで制作をスタート。制作手順の解説動画を見てから、同じグループの人と「ああでもない、こうでもない」と言いながら、指先に神経を集中させて作る楽しい時間となりました。最後には形を整え、ストラップを付けて完成。中には、2つ3つと作る方もいて、家族へのすてきなお土産になりました。

昨年に引き続き、今年も新型コロナの感染拡大によって人権学習会が中止になった町がたくさんありました。新型コロナの先行きはなかなか見通せません。しかし、自分の、そして周りの人の人権に思いを巡らせる貴重な場である住民学習会を、当たり前のように開催できる日常が一日も早く戻ってくることを願わずにはいられません。

地域がつくる温かさ【11月号】

「お久しぶりです」

今年3月、高校を卒業した節目に、市内に住むある女子高校生とお父さんが人権教育課を訪ねて来られました。

お二人とは、家族が外国から西脇市内の学校へ転入してきたときに出会い、そこから学習や生活のサポートに携わってきました。彼女が中学校を卒業して以来、実に3年ぶりの再会でした。当時は、優しく謙虚で恥ずかしがり屋な彼女でしたが、久しぶりに出会うと表情に明るさを感じました。日本語が上手になったこと、得意の数学や英語の学習を頑張り続けたこと、無事に高校を卒業できたこと、そして、大学への進学が決まったことなど、中学校を卒業してからの様子を笑顔で話してくれました。一方、親元を離れ、娘が1人暮らしすることを話すお父さんは、寂しさとともに。子が立派に成長し自立していく喜びを感じているようでした。

西脇市へ引っ越してきた当初、彼女や家族の苦労や心配事は言い表せないものでした。言葉の壁がある中で友達はできるのか、学習に付いていけるのか、進路はどうしたらよいのか、日本社会でうまくやっていけるのか―ため息を漏らすお父さんと、何度も話したことを思い出します。

しかし、困難な状況を支えたのは「地域の力」でした。彼女が言葉でうまく伝えられないときには、周りの子どもたちが声を掛け、伝えようとすることを分かろうとしました。早く言葉を習得し、コミュニケーションが取れるようにと、ボランティアの方々が日本語指導に関わりました。そして、地域の文化祭で日本の学校生活について感じたことを作文発表するときには、たくさんの人が励ましの言葉を掛けていました。地域による数々の温かい支えに、彼女と家族は力をもらい、いつも感謝の言葉を口にします。

高校を卒業するまで彼女が一歩ずつ歩んできた努力と、その努力を支える地域の方々の支援。西脇の人の温かさと人権文化は、確かに地域に根付いています。

自分自身を好きになる【10月号】

この夏、西脇市は兵庫県などとともに「ひょうご・ヒューマンフェスティバル2021inにしわき」を開催しました。この催しは、参加型の取り組みを通して広く人権尊重意識の普及高揚を図り、人権文化を醸成するために、年に一度、兵庫県内で実施されているものです。当日は、西脇市出身のシンガーソングライター・AOI(あおい)さんによるミニコンサートや、タレントで俳優の副島淳さんによる講演会などがありました。

今回は副島さんの素晴らしい講演を紹介したいと思います。副島さんはアメリカ人の父と日本人の母のもと、東京で生まれ、千葉県で育ちました。アメリカルーツのその容姿から、小学校の頃はいじめを受け、つらい日々を過ごしたといいます。そんな彼に彼の母親は「あなたは特別な存在なんだ。立っているだけで目立つなんて、とても良いことじゃないか。生きていれば、時代が変われば、明るくいい時代が来る」と声を掛けたそう。中学校に入学した副島さんはバスケットボール部に入部。部活動に熱中します。すると、コンプレックスだった高身長はプレーに生かすことができ、自己肯定感が生まれました。そして、バスケットボールがきっかけで、芸能界の世界に足を踏み入れた副島さん。副島さんは「母が言った『立っているだけで目立つ容姿』は、芸能界で活躍する上で自分の『武器』の一つだと思える」と、自身の体験を語りました。

容姿に限らず、人の数だけ趣味嗜好や価値観があります。それが周囲の人と違うと、「自分はみんなと違う」と否定的に考えてしまって、自己を肯定することができない人がいるのではないでしょうか。しかし、副島さんのように「みんなと違うところが私の『武器』であり、良いところだ」と思うとどうでしょう。

相手を思いやり、気遣うだけでなく、自分自身に対しても、その存在価値を認めることがとても大切なことだと思います。自分自身を好きになり、自分の人権も守っていきたいですね。

全ての垣根を越えて【9月号】

「侍ジャパン」は野球男子日本代表、「なでしこジャパン」はサッカー女子日本代表というように、「〇〇ジャパン」という愛称がよく使われます。では、「火ノ玉ジャパン」という愛称を皆さんはご存じですか。開催中の東京2020パラリンピックの正式種目である、ボッチャ日本代表の愛称です。

ボッチャはジャックボール(目標球)と呼ばれる白いボールに向かって、赤・青のそれぞれ6球のボールを投げたり、転がしたり、他のボールに当てたりしながら、ジャックボールにいかに多くのボールを近づけるかを競うスポーツで、「地上のカーリング」とも呼ばれています。ボッチャをはじめとする障害者スポーツは、もともと障害がある人のために考案されたスポーツでしたが、いまでは老若男女、障害の有無に関わらず、みんなが一緒に参加し活動できるユニバーサルスポーツとして広がりをみせています。

西脇市においては、スポーツ推進委員が中心となってボッチャの普及に取り組んでいます。また、「にしわきジュニアじんけん教室」の活動の一環で、令和2年度から市内の小中学校に通う子どもたちがボッチャを通して、障害がある人たちと交流してきました。参加者は年齢、性別、障害の有無、運動能力などにとらわれることなく、それぞれのチームで知恵を出し合い、作戦を立てながらボッチャを楽しみました。そこには自然と協力し合い、さまざまな違いを感じさせない雰囲気がありました。

多様性を認め、誰もが個性や能力を発揮し、活躍できる社会をつくっていくことは、オリンピック・パラリンピックが掲げる理念でもあります。コロナ禍で開催された57年ぶりの祭典も、あとわずかで閉幕します。今大会を通して発信されたメッセージが多くの人に気付きを与え、より良い社会をつくるムーブメントとなるとともに、ユニバーサルスポーツを通した西脇市の取り組みが、さらに発展していくことを願います。

ことばの重さ【8月号】

マスコミは毎日のように新型コロナウイルスに関する現状や課題などを報じています。中でも、誹謗中傷などによる差別は大きな人権課題であり、早急に解決すべきものです。誹謗中傷は直接相手に言葉を投げ掛けたり、貼紙をしたり、ネット上に書き込んだりするなど、さまざまな方法で相手に届きます。しかし、元は人から発せられた「言葉」であることに変わりはありません。

私が教育現場で担任をしていたとき、道徳の時間などを使って「あったか言葉」と「チクチク言葉」について学習したことがあります。あったか言葉とは、温かい言葉のこと。「言ってもらってうれしかった言葉は何ですか」という問いに児童は、「困ったときや泣いているときに『大丈夫?』と言ってもらった」と答えました。他に、「もう少しでできるよ」「よかったね」「がんばったね」「ありがとう」など、思いやりがこもった言葉がたくさん挙げられました。そのときの児童の顔は本当にうれしそうで、輝いていたことを今も覚えています。一方、チクチク言葉とは傷つく言葉のこと。「言われて嫌だった言葉は何ですか」と尋ねると、「うるさい」「ばか」「なんでできないの」など心が傷ついた言葉が挙げられました。嫌だったという発表を聞きながら、自分の学級経営の在り方を深く反省をしたこともはっきりと覚えています。「あったか言葉を増やそう、チクチク言葉はなくそう」と児童に呼び掛けて、学級の仲間づくりに力を注ぎました。

現在に目を移すと、SNS上の誹謗中傷は、あまりにもひどいものが並んでいます。その言葉は、人の生命さえ奪ってしまうほど深く傷つける凶器となっているのです。自分の体や心の痛みは強く感じても、他人の痛みには鈍感であるのが現実かもしれません。言葉を発する前に、「これはチクチクかな?あったかかな?」と考えてみることをお勧めします。「たった一言が人の心を傷つける、たった一言が人の心を温める」私はこの言葉を、いつも心に留めています。

幸福の黄色い羽根に願いを込めて【7月号】

「赤い羽根」「青い羽根」「緑の羽根」―。私たちの周りでは、さまざまな色の羽根に願いを込めた運動が行われています。毎年7月には、黄色い羽根に願いを込めた「社会を明るくする運動」が全国規模で展開されます。「社明運動」とも呼ばれるこの運動は、昭和26年にスタート。今年で71回を数える息の長い取り組みです。「犯罪や非行をなくす。過ちからの立ち直りを支える地域をつくる」ことを目指して実施する運動ですが、地域社会での認知度はあまり高くないようです。

さて、「黄色い・・・」と聞けば今から44年前、日本アカデミー賞をはじめ、当時の日本映画界の主演男優賞を総なめにする高倉健主演の「幸福の黄色いハンカチ」という映画を思い起こす方が多いのではないでしょうか。主人公の島勇作は、殺人罪の刑期を終えて網走刑務所から出所し、郵便局ではがきを一枚書いて出します。それは、夕張で自分の帰りを待ってくれているかもしれない、妻・光枝に宛てたものでした。

「もし、まだ俺を待っててくれるなら、こいのぼりの竿先に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。それが目印だ」

夕張の街を背景に、竿に掲げた満艦飾の幸福の黄色いハンカチがはためく中、向き合い、佇む二人を映すラストシーンは不朽の名場面でした。そこには、刑を終えて立ち直ろうとする夫がこれから抱えるであろう「生きづらさ」を支えていこうとする妻の姿がありました。

今、新型コロナウイルスが社会にまん延しています。そのような中、感染症やその家族への誹謗中傷が全国で多発し、多くの人が大変な状況に追い込まれています。同様に、刑を終えて出所した人やその家族に対する偏見や差別は根強く、社会復帰を目指す人にとって、現実は極めて厳しいものがあります。犯罪や非行をした人たちの立ち直りについて社会の理解が深まり、支える活動が広がるとき、「幸福の黄色い羽根」はその役目を終えることができます。

私を励ます出会い【6月号】

今から15年前、私は不登校の児童生徒の支援に携わっていました。いわゆる「ひきこもり」となっている小中学生が社会とつながりを持てるよう、体験活動を通した支援をすることが私の役割でした。

当時、支援していた子どもの一人で小学6年生のAさんは、私が自宅を訪ねても顔さえ見られないことが度々ありました。Aさんは学校へ行くことができないことで人目が気になっていました。そして、自分を強く否定する気持ちから、家族以外の人と会うと体が震えてしまうほどの苦しさの中にいました。私は置き手紙やドア越しの会話、メールでやりとりしながらコミュニケーションを図り、次第に会うことができるようになりました。そして、写真を撮りに出掛けたり、キャッチボールやキャンプをしたりすることを通して、Aさんは少しずつ生活の中に楽しさを感じ、学校の別室で学習ができるようになりました。

その後、私は教員となり、学校現場で日々奮闘していたとき、12年ぶりにAさんからメールが届きました。「時間があったら、ご飯を食べに行きませんか」と。

久しぶりに会った彼の表情は輝いていました。受験に挑戦したことや大学のサークルとアルバイトを通して多くの人の考えに触れることができたこと、社会人となり彼女ができたことまで教えてくれました。さらにうれしかったのは、彼の言葉の端々から周りの人たちを温かく気遣う思いやりが感じられたことです。不登校の中で苦しい思いをしたからこそ、他人の気持ちがよく分かる優しい大人になっていました。

今、コロナ禍で周囲とのコミュニケーションが取りにくく、多くの人がふさぎ込みがちな日々を過ごしているのではないでしょうか。一見、進展していないように思える状況であっても、人はその中で考え、感じ、学ぶことで明るい未来につながることができると信じたい―。私は今も、彼との出会いでそう励まされています。

画面の向こうにいるのは【5月号】

私がインターネットを使い始めたのは今から20年以上前。調べものはもちろん、掲示板に書き込みをしたり、オンラインゲームを通じて見ず知らずの人とパソコンの画面上で交流したりすることが面白く、楽しく感じていました。

それから十数年。スマートフォンの普及とともに新たなコミュニケーションツールとして、会員制交流サイト(SNS)が台頭してきました。友人との会話にはライン。誰かに伝えたいことや写真の発信にはフェイスブック。ランチの場所探しにはインスタグラム。他にも、海外にいる友人の近況を知ることができたり、共感したりするものには「いいね」を押すなど、SNSを使うことで気軽に人とつながり、今では私の日常生活の一部となっています。

昨年、トイレットペーパーが不足するというデマがSNSに投稿されました。これをメディアが放送し、品薄状態に。慌てて買いに行きましたが、どこも売り切れでした。

顔が見えないインターネットでは、誹謗中傷やうわさの流布、フェイクニュースなど、誤った使い方をされることがあります。また、事実とは異なる偽の情報を安易に信じてSNSで拡散し、無関係な人を傷付けて、重大な人権侵害を起こすこともあります。

法務省の発表によると、昨年新たに扱った人権侵犯事件は9,589件、そのうちインターネット上の人権侵害に関するものは1,693件ありました。件数はその前の年より15%減ったものの、被害者の申告に基づいて人権擁護機関からのプロバイダーなどへ削除要請した件数は、約46%増の578件で過去最多になったそうです。

嫌な思いをしたとき、面と向かって言えないことを思わずネットに書きそうになることはありませんか。私はそんなとき、立ち止まって考えます。画面の向こうにいるのは「私」と同じ「人」。自分がされて嫌なことはやめようと。

これからもマナーとルールを守り、インターネットを楽しみたいと思います。

ウィズコロナ時代の「家族のカタチ」【4月号】

新型コロナウイルスが初めて確認されてから2度目の春を迎えました。マスクの着用やこまめな消毒、外出自粛、在宅勤務など、私たちの生活は大きく変化しました。

新しい生活様式が求められる中、外出自粛によって家事や育児の負担が増え、多くの人がストレスを感じながら生活をしています。一方、家族と過ごす時間が長くなり、「コミュニケーションの時間が増えた」「父親が前よりも家事・育児をするようになった」といった意見もあり、新型コロナが及ぼす影響はマイナス面ばかりに目が行きがちですが、プラスになったことも少なからずあるようです。

これまでわが家では、妻が食事の支度をして、私が子どもをお風呂に入れる、子どもの健診や予防接種は妻が連れて行くなど、知らず知らずのうちに家事が分業されていました。しかし、家にいる時間が長くなったことでお互いの役割を見直し、任せきりになっていたことを少しずつ分担することにしました。

いざ家事や育児に取り組んでみると、その大変さや慌ただしさを実感します。その傍ら、これまで見過ごしていた子どもの成長に気付くことができました。自分の思うようにできないこともたくさんありますが、妻には「まだまだ発展途上だから」と大目に見てもらい、前向きに取り組むことができています。

内閣府が行った「新型コロナウイルス感染症の影響下における生活意識・行動の変化に関する調査」によると、約34%の家庭が夫婦間の役割分担を工夫するようになり、そのうち約66%が「今後も工夫を継続する」と回答したようです。

欧米諸国と比べると、日本は性別役割分担意識(夫は外で働き、妻は家庭を守るべきという考え方)が強く、母親の家事・育児の負担が大きいといわれています。きちんと役割分担するというよりは、自分にできることを少しずつ増やしながら、新しい「家族のカタチ」を創っていけたらと思っています。

この記事に関するお問い合わせ先

西脇市教育委員会 教育管理部 人権教育課

電話:0795-22-3111(代表)
ファックス:0795-23-8844
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