心のスケッチ(2020年度)

更新日:2021年05月13日

新成人の言葉に思う【3月号】

1月第2月曜日の「成人の日」。西脇市民会館で行われた「兵庫県ろうあ者新年大会兼成人祝いのつどい」に参加しました。聴覚障害者協会や手話サークルのメンバーら、県内各地から200人を超える人が来場し、会場は温かい雰囲気に包まれていました。つどいには、県内在住で聴覚障害がある新成人12人も出席。みんなで二十歳の門出を祝福しました。

新成人代表としてあいさつした西脇市の荻野捺実さんは、健聴者と一緒に過ごした小中学生時代のことを話されました。言葉が全て聞き取れないこと、話の内容を理解するのに周囲の子より遅れてしまうことなど、いつも不安を抱えていたそうです。みんなが笑っている場面で、なぜ笑っているのかが分からず、何となく笑って周囲と合わせたこともたびたびあったと話されました。さらに続けて、「これまで幾度となくつらいことはあった。でも、それを乗り越えることができたのは恩師や人、両親という心の支えになってくれる人たちがいてくれたから」と述べられました。

西脇市が平成28年12月に「西脇市手話言語条例」を制定してから、はや4年が過ぎました。私は市内で聴覚障害に対する理解や手話を使いやすい環境づくりが進んできたのを肌で感じています。聴覚障害者と交流会に参加する機会も、ずいぶん増えました。交流会のたびに、その人に寄り添い、どんなサポートができるのか一緒に考え、行動できるようになりました。

つどいに参加した恩師の一人が荻野さんに語り掛けました。「成人おめでとう。中学時代が懐かしいね。困っている人がいたら、互いにサポートし合おうとする温かい学級が大好きでした。あなたの人柄がそうさせたんだろうね」

互いの存在を大切にし、共生社会を創造するためのヒントが、ここにあるように感じました。今の私にできることを、一つ一つ実践していこうと思います。

旅先でもらった恩【2月号】

「百聞は一見にしかず」私の好きな言葉の一つです。新型コロナウイルス感染症が拡大する前は、たまに海外旅行をしていました。

ある国での出来事です。私と友人は道に迷っていました。「大丈夫ですか」と、通りかかった青年が話し掛けてきました。私と友人が「地下鉄に乗りたい」と必死にアピールすると、彼は駅までの道順を丁寧に説明し、さらに私たちが理解できずにいると「ついておいで」と駅まで案内してくれました。ところが、駅に着いたのは終電が行ってしまったあと。落胆する私たちに彼は「今から帰るところだから、一緒にタクシーに乗りませんか」と言ってくれました。私たちは異国の地での出来事に不安を抱えながらもタクシーに乗り、宿まで案内してもらいました。彼にタクシー代を渡そうとすると「ノー」と受け取りません。「どうして、こんなに親切にしてくれるの」と尋ねると、彼はこう言いました。「以前日本を旅した時、日本人に親切にしてもらったのがうれしかった。いつか困っている人がいたら助けようと決めていた」彼はそう言って街の中へ消えていきました。

私はハッとしました。困っている外国人を見掛けて、こんなに親切にしたことがあるだろうかと。彼にとって私たちは偶然見掛けた旅人です。私は彼のことを「知らない人だから信用してはいけない」と、心のどこかで思っていました。もしかしたら失礼な態度をとっていたかもしれません。しかし、彼は見ず知らずの私たちに、自分が受けた親切を笑顔でつないでくれたのです。

誰かから受けた恩を直接その人に返すのではなく別の人に送ることを「恩送り」というそうです。彼を助けた誰かと彼の優しさを感じ、この出会いが旅の一番の思い出となりました。そして、彼の優しさを通して、その国が好きになりました。

いつの日かもう一度その国に行けることを楽しみにしつつ、私も誰かに恩を送りたいと思います。

祖母と暮らした10年【1月号】

「ヤングケアラー」という言葉をご存じでしょうか。本来、大人が担うような介護や家族の世話をする子どもや若者たちをそう呼びます。家族のケアに取り組むために学校に行けない、友達付き合いが難しくなる、さらには進学や就職、結婚など、人生に大きな影響を与えると指摘されています。介護中の祖母を孫が殺害するという痛ましい報道も記憶に新しいところです。

私は18歳から約10年間、大阪に住む祖父母とともに暮らしました。祖母はとても元気な人で、祖父や私のために炊事・洗濯・掃除など、全ての家事を担っていました。

しかし、祖父が亡くなり、私も就職し、帰宅が遅くなるにつれて、少しずつ祖母に変化が現れました。紛失した財布が冷蔵庫から見つかる、静かな夜に「物音が気になる」と訴える、排せつを失敗する―。祖母は認知症を患っていました。

「今までできていたのに、どうしてできないの」余裕のない私は、そんな祖母の言動を問い詰めることが増えました。私は両親に相談し、祖母を施設に入れました。祖母にとっても家族にとっても、苦しみ悩んだ上での決断でした。

祖母が亡くなって3年。私は大切に育ててくれた祖母に取った行動を後悔するときがあります。一方で、「その時はそうするしか他に選択肢はなかった」とも思うのです。私には認知症という病に関する正しい知識もなければ、悩みを相談できる心安い隣人もいませんでした。

平成29年に実施された総務省の調査によると、30歳未満の介護者は約21万人と推計されており、増加傾向にあります。苦しい状況を抱え込んでいるにも関わらず、声を上げられない若者が私たちの身近にいるかもしれません。周りにいる大人に何ができるのでしょうか。

将来を担う若者たちにとって、明るい希望が持てる社会であるために。自分にできることを考えてみようと思います。

困ったときこそ【12月号】

私の手元に、ある地域が制作した「令和2年度防災計画」という冊子があります。大規模地震や豪雨などの発生時の防災体制が明記されています。防災計画の運営主体である自主防災会は、過去の災害による被害状況や対応の反省に立ち、今年新しく「災害時要援護者支援班」を作りました。班の役割は、災害時における要援護者の避難行動の支援。主な要援護者は、高齢者や1人暮らし世帯の方です。1人暮らしでなくても、同居する家族も高齢で、避難などが難しい世帯も対象となります。

冊子の要援護者ネットワーク編成表を見て、「なるほどなあ」と思いました。1人の要援護者に対し、支援者が3人配置されていたからです。万が一、最初の支援者が不在の場合でも、次の支援者、また次の支援者と、支援が二重三重に整えられていることに感心し、優しさを感じました。また、冊子には支援の心構えも明記されています。その一つには「困ったときこそ温かい気持ちで接する。非常時こそ、不安な状況に置かれている人に優しく接する必要がある」とあります。

ある町では、人権学習会で特別養護老人ホーム・コモエスタにしわき施設長の宮下京子さんを講師に招き「住み慣れた地域で暮らし続けるために」と題した認知症の講演会が開かれました。それに参加した私は、宮下さんの「認知症患者への家族や近所の人の関わり方」の言葉が強く心に残りました。

  • 穏やかな気持ちで接する
  • できないことだけを手助けする
  • 無視したり孤立させたりしない

これらの文の冒頭に「困ったときこそ」を付けてみると、どれもしっくりと理解ができます。

「災害弱者」と呼ばれる高齢者や認知症患者に共通して、「困ったときこそ」温かく適切に対応することが本当に大事なことです。では、関わる者に必要な心構えは何でしょうか。その手掛かりが講演の最後にありました。「一番苦しく、不安で悲しい思いをしているのは、本人なのです」。

立ち直りを助けて【11月号】

今年10月、2人の保護司が満齢退任されました。一人は18年、もうお一人は20年にわたり保護司を務められました。お二人の長年のご苦労に頭が下がります。

さて、市民の皆さんにとってあまりなじみのない保護司について、簡単に説明しましょう。保護司とは、法務大臣の委嘱を受け、犯罪や非行をした人たちの立ち直りを地域で支えるための活動を行う民間のボランティアです。犯罪や非行をした人たちと定期的(月2回程度)に面接を行い、更生のための約束事を守るよう指導するとともに、生活上の助言や就労の手助け等を行う「保護観察」という活動が重要な任務となっています。今年1月現在、全国で4万7千人余り、西脇市では21人が保護司として活動しています。

さて、先ほどのお二人が退任にあたって話されたことの一部を紹介します。

一人目の保護司は在任中、15歳の少年から70代の女性まで約40人の保護観察対象者と関わり、その更生保護に努めてきました。なり手の少ない保護司の発掘にも奔走されたそうです。退任を前に、後輩保護司から「保護司にならないかと声を掛けてもらったおかげで、いい勉強をさせてもらっています」とねぎらいの言葉が掛けられました。

一方、もうお一人は関わった若者の話をされました。暴走行為を繰り返し、保護観察処分を受けた少年との出会いは、実に鮮烈でした。初めて会った日、少年はその保護司に「今度は女か。どつきまわしたろか」と。それから一年間、ドキドキびくびくしながらも家庭訪問を繰り返し、少年の更生に携わりました。つい最近、思わぬ再会がありました。自宅の危険箇所の修繕にやってきた業者が、更生し立派な社会人に成長したあの時の少年だったのです。その保護司の目からは、涙が止めどなくあふれました。

私たちの周りには、犯罪や非行のない安全・安心な明るい地域社会を築くため、地道な活動をされている方々がおられます。

咲かそう!人権文化の花を西脇の地に【10月号】

皆さんは「西脇市人権教育協議会(市人教)」を知っていますか。

前身の西脇市同和教育協議会の発足から61年、市人教は西脇市に暮らす全ての人の人権が保障され、笑顔で生活できるまちづくりを目指している組織です。地域や学校園、企業などが手を取り合い、協力しながら互いの人権を尊重し、ともに生きる社会を実現するための取り組みを進めています。

毎年8月には身近な暮らしを見つめる機会になればと、市人教は市や各地区と連携して多文化共生、障害のある人、部落問題など、さまざまな人権課題に関する講演会を開催。各地区から100人以上の参加があり、期間を通して約1,400人が「人権への気付き」を感じる場となっています。また、11月にはそれぞれの場所で取り組んでいる人権教育や啓発活動を紹介し、情報交換とコミュニケーションを図る研究大会を開催しています。ところが、新型コロナウイルス感染症の影響で、今年度はどちらもやむを得ず中止することになりました。

そこで、自宅で人権への思いを巡らせてもらおうと、市人教は市とともに「人・命・絆」をテーマとした標語やエッセイ、ポスター作品を募集。子どもから高齢者まで幅広い年齢の方から、思いのこもった作品が多数出品されています。

このように市人教では、市や関係機関と連携し、人権に触れる機会をさまざまな手段で提供し続けており、ホームページでは「咲かそう!人権文化の花を西脇の地に」をスローガンに多様な活動を掲載しています。

兵庫県人権啓発協会によると、人権文化とは「お箸やお風呂が『日本の文化』として私たちの生活に溶け込んでいるように、人権への適切な配慮や行動が日常生活に自然な形で根付いているさま」とあります。そのために、「他人事」も「自分事」として想像する力を身に付けることが必要です。そのきっかけとして、市人教の取り組みに参加してみませんか。

一人称に表れる"その人らしさ″【9月号】

あなたは自分のことを何と呼びますか。「わたし」「ぼく」「おれ」「自分の名前」など、人それぞれ、さまざまな表現が存在します。一人称には、その人の個性が表れているように感じます。

3歳になる私の息子はおしゃべりができるようになって間もない頃、自分のことを「わたし」と呼んでいました。想像していた一般的な一人称と違い、最初は少し驚きましたが、それも一つの個性と思えば何ともいとおしく、ありのままを見守っていこうと思いました。

ある日、息子と公園へ行ったときのことです。近所に住む同年代の子どもたちが息子に対して、「男の子なのに『わたし』って変じゃない?」「男の子は『ぼく』って言うんだよ」と教えてくれました。きっと子どもたちの中には、「わたし」は女性が使う一人称で、男性なら「ぼく」を使うことが適当だという認識があったのでしょう。「『わたし』は男の子も女の子も使うことがあるんだよ。変じゃないよ」と話すと、「そうなんだ」と素直に聞き入れてくれました。

社会には固定的な性別役割分担意識が根強く残っています。夫は外で働き、妻は家庭を守るべきであるという考え方の根底には、男性はこうあるべき、女性はこうあるべきという偏った見方・考え方があるのかもしれません。そうした見方・考え方は、ときに人を傷付けてしまうことにつながりかねません。

このように考えている私自身も、息子が自分のことを「わたし」と呼ばなければ、自分の中にある偏見に気付く機会を逃していただろうと思います。「三つ子に習って浅瀬を渡る」といいますが、とても大切なことを息子から教わりました。

先日、息子に好きな色を尋ねると「ピンク」と答えました。相変わらず親の予想を超える答えを返してきます。まだまだ続く子育て、息子とともに成長しながら、私なりに楽しんでいけそうです。

学校再開に思う【8月号】

新型コロナウイルスの感染拡大防止対策として、臨時休校が余儀なくされた学校。経験したことのない約3ヵ月を経て、学校に再び子どもたちの躍動する姿が戻りました。

「きょうの部活はむちゃくちゃしんどかった。こんなにしんどかったのは久々や」。練習を終え、真っ黒になったユニホーム姿で帰宅したときの子どもの第一声です。「どんな練習やったの」と問い掛けると、思うように体が動かないもどかしさ、新しい顧問の先生のこと、チームメートのこと、次から次に話が弾み、途切れることはありません。まるで、休校中の鬱憤を晴らすかのように話す姿に、ほほ笑ましささえ感じました。「これまで大変やったけど、よう辛抱したなあ。さあこれからやぞ。頑張れよ」と思わず話しました。

「今度の顧問の先生はとても厳しい。きょうも何度も叱られた。途中でへこんだけど、ちゃんと教えてもらって、最後には投げられるようになってん」。

このとき、「叱る指導!」の著者で、西脇市教育スーパーアンバサダーである菊池省三さんの講演を思い出しました。

「頭ごなしに叱るのではなく、子どもの力を十分に見極め、認めた上で叱る。自分は見守られているという安心感を与えながら叱る。すると、厳しく叱られても素直に受け止めようとする気持ちが芽生えてくる。子どもの成長につなげようとする指導者の意識がとても大切です」

この話を聞いたとき、叱ることも褒めることも、子どもの成長に欠かせない大切な要素だと再認識しました。厳しくも温かい指導は、子どもの個性や能力を磨き、自己実現へと導きます。それは、学校が担う大きな役割の一つです。

明治5年8月の学制公布で、全国に多くの学校が誕生しました。いま、新型コロナウイルスによって学校の存在意義が問われていますが、子どもの成長を支える場としての学校は、今も昔も変わることはないでしょう。

感謝と思いやりの気持ちで【7月号】

新型コロナウイルス感染症に関連した緊急事態宣言が解除された後も、感染拡大を予防するための「新しい生活様式」は続いています。感染への用心はまだまだ必要です。

日本赤十字社が提唱する「新型コロナウイルスの3つの顔を知ろう」によると、感染症による不安や恐れは、私たちの中にある「気付く力」「聴く力」「自分を支える力」を弱めると説いています。この力が弱まると、冷静な判断や対応ができなくなり、差別につながってしまうこともあります。詳しく見てみましょう。

  1. 「気付く力」を高めるために
    自分を見つめてみましょう。ちょっと立ち止まって自分のいまの考え方や気持ち、振る舞いなどを見直しませんか。
  2. 「聴く力」を高めるために
    感染症に関する悪い情報など、関心が一部に偏っていませんか。また、何かと感染症に結びつけて考えていないでしょうか。
  3. 「自分を支える力」を高めるために
    いま自分ができていることや頑張っていることを認め、自分を褒めましょう。また、取り組んでいることを続けたり、発展させたりしてみてはどうでしょうか。

あるニュース番組の冒頭、アナウンサーが次のように述べました。

「皆さん、何かしらの我慢の生活、本当にお疲れさまです。家で少しストレッチをしてみる。こういったことで体をほぐすことができます。そして、日常のごく当たり前のことに幸せを感じてみる。そうすることで、もしかすると心をほぐすことができるかもしれません。どうか心身の健康を大切になさってください」

認めてもらえた喜びと勇気が私の心の中に広がりました。この言葉には、視聴者へのねぎらいとともに、思いやりの気持ちがあふれています。

自分のため、人のために一生懸命頑張っている方々に、ねぎらいや感謝の気持ちを伝えたいものです。互いに支え合いながら、不安や恐れを乗り越えていきましょう。

「助けて」という言葉にこめて【6月号】

「水無月」は、「水の月」という意味で、田植えのすんだ田に水がいっぱいに張られる六月を表す言葉です。

さて、田植えの風景も昔と大きく様変わりしました。今は、どの水田を見ても一~二名で田植え機による植え付け作業を行い、あっという間に田植えが済んでいきます。女性や子どもの姿はほとんど見ません。昔を知る者にとっては、まったく味気ない光景となっています。

半世紀前の田植えを思い出してみましょう。まず、早朝より一家総出(近所の手伝いさんも交えて)で苗取りをします。わら一本で一握りの苗束をどんどん作り、苗取りが終わると田圃へ移動します。田圃には、端と端を結ぶ形で、およそ一メートル間隔でシュロ縄が何本も張られています。その間にモンペ姿の女性が横一列に並んで入り、一斉に田植えを始めます。女性たちは、親指、人差し指、中指で器用に数本の早苗を挟み、シュロ縄とシュロ縄の間の持ち場に左から右へと手早く植え付けていきます。横一列が済めば、一歩下がってまた植えるという作業を繰り返しながら、競うように田植えをしていきました。また、苗のなくなりかけた女性の近くに畔際から苗束を投げ入れていくことも男や子どもたちの重要な仕事でした。このように当時の田植えは、子どもたちからじいちゃん、ばあちゃんたちまで家族総出の大変な作業で、隣近所の人たちと助け合わないと到底できないものでした。

無縁社会が叫ばれる今日にあって、かつてのような家族のつながり、人と人とのつながりを望むことは無理なことなのでしょうか。平成24年内閣府「社会意識に関する世論調査」によると、東日本大震災後、家族や地域、友人などとのつながりや助け合いを強く意識する人が増えているとのことです。人と人とのつながり―「絆」を取り戻すキーワードは、奥田知志(NPO 法人北九州ホームレス支援機構理事長)さんによると、「助けて」だそうです。

「助けて」と言ったり言われたりしながら、新たな縁を結び、わが街西脇に「地域まるごと家族」を創り出せないものかと思います。

人権のまちづくりを担う人々に感謝【5月号】

皆さんは各町や区で、人権に関する学習会が開催されていることをご存じですか。

町や区では毎年夏から秋にかけ、111人の人権教育推進員が中心となって、学習会の企画・運営をしています。推進員は自治会の人権教育を推進するために市などが開く研修会に参加し、学習会の計画や進行方法を学んでいます。そして、難しく感じがちな学習会に一人でも多くの人に気軽に参加してもらえるように工夫されています。

例えば、推進員が企画する体験を通じて考える学習に、「アイマスク体験」や「手話での交流会」があります。参加者も講師も一緒に体験することで、障害について理解するだけでなく、会話や笑顔が生まれ、とても温かい会になっています。他にも、落語や小ばなしを通じて人権に触れる「人権落語」は、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうことや、誤った思い込みなどに気付くことのできる内容です。

学習会では、推進員を助けようと区長さんをはじめ地域の皆さんが協力して、会場の準備をされています。終わった後は参加者も一緒に片付けをし、楽しく話をしながら帰る姿をよく見かけます。ある町の区長さんは、地域内外の研修会や講演会に積極的に参加し、人権問題を学んでいます。そして、推進員とともに率先して手本を示し、学習会の参加者を募るために地域の人に声掛けをされています。

学習会は一人ではできません。学習の場を設けても、参加者がいなければ成り立ちません。不安や期待を感じながら人権学習の計画を立てている推進員にとって、前述の区長さんのようなサポートは心強いことでしょう。

一つの会を開くには多くの人の協力が必要です。みんなが安心して暮らすまちづくりのヒントが、学習会にはあります。地域に住む人なら誰でも参加することができます。こんな学習会に参加しませんか。きっと皆さんの「心」を捉えることと思います。

春惜しむ~よき時間、よき交わり~【4月号】

春を表すさまざまな季語の一つに、「春惜しむ」という言葉があります。春は物事の始まりの季節であり、出会いや別れの多い季節でもあります。春を惜しむということは、人生においてつかの間のものであるよき時間、よき交わりを大切にする心につながるといわれています。

新たな年度を迎え、進学、就職、転勤等で環境が大きく変化するこの時期。新生活に期待を膨らませる人もいれば、うまく適応できるか不安を抱える人も多いのではないでしょうか。

私は9年前に転職し、教育職に就きました。異業種への転職は迷いに迷った上での決断であったため、「この世界で本当にやっていけるのだろうか」「周りに迷惑を掛けてしまわないだろうか」と不安に思っていたことを覚えています。

そんな私を支えてくれたのは、「あなたにぴったりの仕事やん」「きっといい先生になると思う」と言って送り出してくれた前職の同僚たちの存在でした。私もかつての同僚と 同じように、子どもたちの可能性を信じ、温かく見守っていこうと心に決め、全校朝会の舞台に立ちました。

あれから9年。職場が変わり距離は離れても、そのときのつながりは今でも残っています。疎遠になってしまった人もいますが、その人と一緒に過ごした日々は、今も自分の考え方や行動に脈々と生き続けているように感じます。

振り返ってみると、人とのつながりの中で受け取ったものは、生きていく上での大きな支えになっているような気がします。昔の人が、人と交わり過ごしてきたよき時間を惜しむ気持ちが、身近に感じられます。

この春、初めて6年生の担任をしたときの子どもたちが、高校を卒業しました。新しい環境へ飛び込む彼らも、よき時間、よき交わりに思いをはせているかもしれません。満開の桜を眺め、感傷的な気持ちになりながら、私もまた、新たな歩みを始めます。

この記事に関するお問い合わせ先

西脇市教育委員会 教育管理部 人権教育課

電話:0795-22-3111(代表)
ファックス:0795-23-8844
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