世界的美術家・横尾忠則さん

更新日:2024年03月28日

ふるさと西脇の芸術文化の振興に貢献

平成25年6月27日にアピカホールで、西脇市出身の世界的美術家、横尾忠則さんへの名誉市民称号贈呈式を開催しました。市がこの称号をお贈りするのは、昭和62年(1987年)に制度を作ってから初めてのことです。名誉市民章は、西脇市にゆかりの深い方で学術技芸の進歩や社会文化の発展に貢献し、功績が顕著な方にお贈りすることとしています(西脇市名誉市民条例)。

横尾さんの国内外でのご活躍はもとより、芸術活動を通じてふるさと西脇の芸術文化の振興に貢献を続けてこられた功績をたたえ、今回、名誉市民章を贈呈することになりました。

受章の喜びを語る横尾忠則さん(6月27日、アピカホールにて)

<受章の喜びを語る横尾忠則さん>

名誉市民称号贈呈式フォトギャラリー

プロローグ(弦楽四重奏)

<プロローグ(弦楽四重奏)>

來住市長と横尾夫妻

<來住市長と横尾夫妻>

名誉市民顕彰状と名誉市民章などを贈呈

<名誉市民顕彰状と名誉市民章、記念品目録を贈呈>

花束贈呈

<花束贈呈>

幼少期を過ごした西脇は、私にとって創造の宝庫です

横尾忠則さんは、昭和59年(1984年)にオープンした西脇市岡之山美術館での56回に及ぶ企画展、4回の公開製作、25回の公開講座の開催、JR加古川線のラッピング電車を手がけるなど、ふるさと西脇の芸術文化の振興に大きく貢献いただきました。

贈呈式当日は、兵庫県知事や関係者、市民、横尾さんの同級生ら約180人が駆けつけて受章を祝福。横尾さんは次のように喜びを述べられました。

横尾さんからのメッセージ

西脇で生まれ育ち、人格が確立していく中で体験し形成されたものを、作品を通して吐き出すことが、僕にとっての創作です。

僕が住んでいた頃の西脇は非常に景気がよく、そのイメージを求めて帰って来ていました。しかし、記憶にある町はファンタジーで現実には存在せず、西脇はどんどん変化しています。これも発展のプロセスで変わること自体が大切。僕の創作にも関わる大きなテーマでもあり、過去に対する哀愁を断ち切って、描き続けたいと思います。

今後もさまざまな創作活動が西脇を起点にして行われる予感がしています。特に幼児期のいろいろな経験、体験というものを克明に記憶しており、そこが僕の「創造の宝庫」と考えています。新しいものを未来に求める必要はなく、自分の過去、西脇の過去、日本の過去、そういった歴史を探ることで未来が拓かれていく気がしています。ですから、今しばらく僕は過去を見て創作していくことになります。過去は僕にとっては未来。そういうことで、西脇は、僕自身を生んでくれ、育んでくれた場所です。今後ともお付き合い願いたいと思います。

顕彰状と記念のメダル

<顕彰状と記念のメダル>

横尾さんと西脇市

「Y字路」シリーズを描くきっかけとなった模型店

<「Y字路」シリーズを描くきっかけとなった模型店>

横尾さんの通学路にあったが、当時は三叉路になっていることを意識したことはなかったとのこと。氏が「新しい西脇」を発見し哀愁を断ち切った場所でもあります。
 

横尾さんがデザインしたラッピング電車

<横尾さんがデザインしたラッピング電車>

たった1台の車両で田舎の何でもない風景を一変させた氏のセンスに、多くの方が驚愕しました。残念ながら、現在は4台すべてが運行を終えています。

西脇小学校での制作風景

<西脇小学校での制作風景>

横尾さんによる制作活動の様子。このように、西脇市内では、世界的美術家である氏の作品やそのモチーフを多数発見できます。

岡之山美術館での制作風景

<岡之山美術館での公開制作>

こちらは、岡之山美術館での公開制作の様子。マスコミをはじめ多くの方が、氏の制作の様子を一目見ようと西脇に集まりました。

三宅一生氏、イサムノグチ氏とともに

<三宅一生氏、イサムノグチ氏と共に>

岡之山美術館企画展「横尾忠則、三宅一生をデザインする」(昭和61年)において、三宅一生氏のプライベートショーが開催されました。写真は、横尾さんが三宅一生氏、イサム・ノグチ氏と共に万雷の拍手を受ける横尾さん。

この記事に関するお問い合わせ先

西脇市 市長公室 秘書広報課(秘書担当)

電話:0795-22-3111(代表)
ファックス:0795-22-1014(代表)​​​​​​​
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